月さえも眠る夜〜闇をいだく天使〜

15.嵐



「大丈夫かい?お嬢ちゃん?できるものなら、この俺が代わってやりたいぜ」
「根を詰めすぎた所もあったのだろう。今日はゆっくり休むがよい」
「あー、あったかくして、安静にしていてくださいねー」
「早く元気な姿をみせてくださいね……」
「ったくよお。とろとろしてっから、カゼなんかにとっつかれんだぜ」
「ゆっくり休むいい機会だよ。元気になったら、一緒に体力作りでもするかい?」
「熱はないみたいだね。高熱でちゃうと、オハダ荒れちゃうからねえ」
「お花にお水、あげておいたからね」
「大丈夫よ。まかせておきなさいって。わたくし一人でもぜ〜んぜん、問題なくってよっ!」

午後になって仕事の手が空いたのだろう。入れ代わり、立ち代わり見舞いに来てくれる仲間達に、
「窓を開けっ放しで眠ってしまって」
と言いつつ、嘘はついてないわね。とアンジェリークは思う。
気分が落ち着いてきたものの、独りでいたい想いが強く、出仕を控えた。
しかし、こうして示し合わせたわけでもなく全員が ―― ひとりを除いて ―― 見舞いに来てくれて、実際その顔を見ていると彼らの自分に対する温かい想いが伝わり、不覚にも涙が出るほどありがたい。
心配をかけているのであろう。
その自覚はあった。
今日のことばかりではなく、あの惑星の惨劇の日からずっと。
それぞれの人が、それぞれに自分を支え、思い遣ってくれていた。
―― そう、クラヴィス様も。

間違いなかった。
心が重く、眠れない夜、必ずと言っていいほど訪れるやさしい安らぎの気配。
あのひとは、なんのことだかわからない、と否定していたけれど。

あの安らぎを感じる以前、幾度このまま目が覚めなければいいと思ったろう。
闇の深淵にいだかれて、永遠に眠りたい、と。
朝、目が醒める度、軽い絶望が胸をよぎらずにはいられなかった。
―― あの人を失って、なぜ、私は、生きていられるのだろう。
そう思わずにいられなかったのだ。
そこまで来て、自分の考えにアンジェリークはどきりとする。

私は――?
私はただ、あのひとの与える「安らぎ」が欲しかったのだと?
クラヴィス様自身に惹かれ始めていたわけじゃなく?
私は今も、生きることを望んでいないのだろうか?
疑問だけが湧きあがり、答えがみつからない。
自分の、心だというのに。
その時、音も無く扉が開いた。
最後の見舞い客が来たのだ。

「クラヴィス様……」

外の雨はひどくなっているようである。
つややかな黒髪が水を含みさらに濡場玉の闇の色を呈していた。
そのままでいい、と言うように片手で制するクラヴィスを無視して、アンジェリークはベッドの上に半身を起こしヘッドボードにもたれかかる。
「体は……大丈夫か……?」
勝手に自分で椅子をベッドの傍に動かし腰掛け、クラヴィスは尋ねた。
「はい、ご心配をおかけしました。その…雨に濡れてしまったものですから」
そういう意味ではないのだろうことはわかっていた。
しらじらしいかな。
気まずさと言うより、この場合、照れが先行しているようである。
「そうか」
零れる息とともに幽かに聞こえるいつもの声。
感情は読み取れない。
瞳をみつめることが恐くて下を向いているから尚更だ。
風が窓をがたがたと鳴らして通りすぎていった。

長い、長い、間。

衣擦れの音がした。
はっとした時には、雨に濡れて冷えた、クラヴィスの細く長い指がアンジェリークの顎をつかみ顔を上に向かせている。
緑色の瞳の奥に彼は何を見たのだろう。
目の前の秀麗な顔に幽かな苦痛が浮かんだ。
耐えられず、目をそらした彼女に突然激しい接吻が襲う。
アンジェリークのすべてを無視して舌が唇を割って入り強く絡まる。
突然の行為に抵抗を試みたがいともかんたんに両腕をつかまれ身動きがとれなかった。
「……っ……ん……っ!」
言葉さえも紡げぬまま接吻は続く。
手首をつかんでいる指は、しなやかでいてけしてほどけない。
そして唇に、鈍い痛みが走った。
「!」
ふと、腕をつかむ指の力がぬかれ、そのひとが身を少し離す。
アンジェリークの唇から鮮やかな赤い血がにじんでいた。
まるで、それが生きている証拠だとでもいうように。

微動だにできずにクラヴィスをただただ、見据えているアンジェリーク。
再び、こんどは静かに、クラヴィスの唇が重なる。
アンジェリークは動かない、いや、動けなかった。
舌が唇をねっとりとなぞり紅の血を拭う。
しかし、その瞳はぞくりとする程に無表情だった。
そして何事もなかったかのようにクラヴィスは告げる。

「おまえが真に望むものは。死か」

アンジェリークの目が見開かれた。
否定しなければいけないと思う。
しかし、答えのでなかった自分自身の問いが頭を過ぎり声がでない。
躊躇した一瞬の無言を肯定と受け取ったのかクラヴィスは音も無く踵を返すと扉へと向かう。
何かを言わなければ。
アンジェリークは思う。
そして口から零れた言葉は、自分でも意外すぎるものだった。

「それではあなたは、昨夜あの森の湖の大樹にいったい誰の姿をみつけたのですか?」

永遠にも思える一瞬の沈黙の後、扉の閉まる鈍い音が部屋と廊下に響きわたり、たった一枚の木の板がふたりを遠く隔てる。
すっかり日の落ちた聖地で、吹きすさぶ風とますます激しくなる雨の音だけが、それぞれの耳に届いていた。

◇◆◇◆◇

「ジュリアス様、申し訳ありません。このような時間にお呼びたてして」
女王となってからも、先達に対する礼儀、と守護聖達に対して慇懃な態度を崩さないロザリアが言う。
「いえ、私も謁見を申し出るつもりでしたので」
うやうやしく一礼しながら光の守護聖が答えた。
「では、お気付きですね?この異変に」
「はい」
元々聖地はこの宇宙で最も強く女王の力で守られている。
先だっての試験中のように、宇宙が崩壊へ向かいさらに女王の力が衰えている時期とは違い、めったに天候さえ崩れない。
今朝のような静かな雨はそれほど珍しくも無いが、たいていは穏やかな良い天気でそれ故にいつも
「あ〜いい天気ですね〜」
を連発するルヴァにゼフェルが
「ほとんど毎日そうじゃねーかっ!」
と、突っ込みをいれるわけである。
それが、この嵐だ。
しかもそれだけではない。
大気の中に微かにまじる不快な微粒子、そのことにふたりは気付いたのである。
ロザリアの司る力に、いささかの不安があるわけもない。
とすれば、他の原因があるはずである。
「兎に角、至急守護聖全員を招集して下さいませ。平気なようなら、アンジェリークも……いえ、やはり彼女には伝えなくて結構です」
見舞いにいった時、彼女とはただの世間話しかしなかったが、体調の悪さ以外の何かが親友を床につかせたことにロザリアは気付いていた。
何があったのかは、わからないけど。
これ以上、余計な負担はかけたくないわ。わたくし達で済むことならば、済ませてしまいましょう。
ロザリアはそう考えながら、蒼い髪をなびかせて颯爽と謁見の間へ向かった。


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